巫女尼✳︎華華✳︎の徒然日記
【ありがたいという事 Vol.2】
〜お弟子の皆が、笑顔で仏様を描くお稽古日〜
まさか私が、絵を描く事をお伝えする立場になるなんて。。。しかも『仏様』のお姿を。。
きっと一番喜んでくれているのは、今は亡き父だと思います。
私の父は「絵描き」でした。
けれど、没落した実家を助けるため、弟の大学の入学金を支払うため、高卒で無線通信の資格を取り、離島の通信士として赴任し、弟達を大学に入れたそうです。
私の父は「絵描き」でした。
弟達を大学進学させた後、父はもう一度絵を描きたい、学びたいと決意、アルバイトをしながら大学入学の資金を貯めたそうです。けれど、やはり経済的な理由から、美大には行けず、唯一、実家から通える教育大学の美術学部へ進学、苦学生をしながら、高校と中学の美術教師の資格を取りました。
私の父は「絵描き」でした。
父は母と結婚しました。大手企業所属の陸上選手で、なに不自由無い環境で育ったお嬢様の母と、豪放磊落ではありますが、繊細な父が、どうやって結びついたのか?未だに不思議です。
私の父は「絵描き」でした。
私が生まれた頃、父はまだ、絵の道を諦めてはおらず、私が3歳になると、愛車の50CCのバイクの後ろに補助椅子を取り付け、2人で山へ登り、風景画を描き始めます。2人で、ほんとうに美しいものをたくさん見ました。贅沢な物など何も無い日々ではありましたが、自然が心を育てる事を
一緒に歩きながら、父が教えてくれた、豊かな日々でした。
私の父は「絵描き」でした。
弟が生まれ、妹が生まれ
父はだんだん絵を描かなくなりました。
多分、日々の暮らしが大変になったのでしょう。
それでも、父は幸せそうでした。たくさんの教え子に囲まれて、怒鳴ったり、笑ったり、泣いたり、長髪を振り乱して、竹刀を振り回した事もありましたが、決まって
その竹刀で叩かれた教え子は、卒業するとお酒を持って訪ねて来ました。
私の父は「絵描き」でした。
私が進路で迷っていた時、父は私に言いました。
「お前には、絵の才能は無い
ましてや、それで食うて行く才も無い
諦めて、違う道を行きなさい」
私は父の言葉を守りました。
何故なら、
父がどんなに絵を描く事が好きだったか、知っていたから
父がどんなに頑張っていたか、知っていたから
その父が言う事は正しいと知っていたから
絵筆を置いて、数十年経った今
お父さん
私、仏様のお姿を現させて頂いています。
お弟子さん達と一緒に、笑いながら
きっと一番、喜んでくれてるよね。
「才が無い」そう教えてくれた父は、優しい人でした。謙虚に、心を込めて、父の教えを守って
また、絵筆を握っています。
珊瑚ノ宮 千住堂にて、ご一緒に、
仏様のお姿を描いてみませんか
仏様のお師匠さま「貴う」さんの、ありがたいお話を、時々、聞かせて頂きながら
巫女尼 華華 の面白話を聞きながら
千住堂では 「宮ノ舞」「仏舞」と共に
『写仏』のお教室も開いています。
性別、年齢は問いません。
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