巫女尼✳︎華華✳︎の徒然日記
▪️珊瑚ノ宮 千住堂 巫女尼✳︎華華✳︎の話語り▪️ 神仏習合のお話〜その1の7『三十番神』
三十番神 『7日』のご守護の神様は
✴︎北野大明神✴︎(北野天満宮)です。
北野大明神
北天満宮のご祭神は菅原道真公です。
北野には、古代から天神・地神が祀られていて、この地方の人々の信仰の霊地でした。『天神』は天候を司る神様として崇められ、『地神』は五穀豊穣を司る神として信仰されてきました。
この天神・地神と菅原道真公が合体して『天満大自在天神(てんまんだいじざいてんじん)』となられました。
菅原道真公、優れた才知と、それがゆえの
波乱のご生涯、「北野の天神さま」となられて、正しい道をお示しくださっているのではないでしょうか
「東風(こち)吹かば 匂ひおこせよ梅の花、あるじなしとて春を忘るな」
繊細で美しい歌ですね。日本人の心の機微を忘れずにいたいと想います。
※『三十番神』とは、神仏習合の信仰で、毎日交替で国家や国民などを守護するとされた30柱の神々のことです。
千住堂では、「巫女舞」「宮ノ舞」「仏舞」教室、写仏、写経等で、ご神仏を学ぶ、「書の教室」を開いております。舞も書も性別、年齢を問いません。ご興味がありましたら、お問合せくださいね。
【▪️珊瑚ノ宮 千住堂✳︎華華✳︎の話語り▪️ 神仏習合のお話〜その1の6『三十番神』】
三十番神 『6日』のご守護の神様は
✴︎鹿島大明神✴︎(鹿島神宮)です。
鹿島大明神、主祭神は
「武甕槌命(たけみかづちのみこと」さまです。武神として崇敬され、日本最強の武神・雷神・剣の神です。
(そして私の祖先、藤原氏の氏神さまでもあります。)
古事記、日本書紀に描かれているように
「経津主命」(ふつぬしのみこと)と共に、葦原中国(あしはらのなかつくに)平定のために出雲に天降り、国譲りを成功させた
強い神さまです。以前ご紹介しました✳︎2日の御守護の神さま✳︎「建御名方(タケミナカタ)神」と相撲で闘って勝利、これが相撲の起源と伝えられています。
私は小さな頃から、雷さまが大好きで
「武甕槌命」さまが大好きで、鹿島神宮さまには何度もお詣りさせて頂いております。昨年は、珊瑚ノ宮の巫女として、御奉納舞をさせて頂きました。奉納舞が終わったあとに、雷鳴が轟いたのが、今でも嬉しく、心に残っております。
※『三十番神』とは、神仏習合の信仰で、毎日交替で国家や国民などを守護するとされた30柱の神々のことです。
【▪️珊瑚ノ宮 千住堂✳︎華華✳︎の話語り▪️ 神仏習合のお話〜その1の5『三十番神』】
【▪️珊瑚ノ宮 千住堂✳︎華華✳︎の話語り▪️
神仏習合のお話〜その1の5『三十番神』】
三十番神 『5日』のご守護の神様は
気多大社さまは、石川県の能登半島にある能登国(のとのくに)の一の宮です。
今、被災の地で、大変なご苦労をなさっておられると思います。調べましたら「気多大社大丈夫です!」のメッセージがありました。なんだかうるうるしてしまいました。どうか、ご無事で、被災した方々の頼る場所となられる事をお祈り申し上げます。
気多大明神の主祭神は
「大己貴命(おおなむちのみこと)」さまで、いわゆる「大国主命(おおくにぬしのみこと)」さまの事です。大国主の命さまの神話は、言わずもがな!ですよね。
また、万葉集で有名な奈良時代の歌人「大伴家持」が参詣したおり、に詠んだ歌が残っています。
『之乎路(しおじ)から 直越(ただこ)え来れば 羽咋(はくい)の海(うみ)朝凪(あさなぎ)したり 船梶(ふねかじ)もがも』
ご興味がありましたら、意味も調べてみてくださいませ。
縄文の時代より栄し、美しい風土に育まれた土地と、神社さま、きっと復興してくださると信じております。
※『三十番神』とは、神仏習合の信仰で、毎日交替で国家や国民などを守護するとされた30柱の神々のことです。
【▪️珊瑚ノ宮 千住堂✳︎華華✳︎の話語り▪️ 神仏習合のお話〜『三十番神』5】
✴︎気比大明神✴︎(気比神宮)です
気比大明神の主祭神は
伊奢沙別命(いざさわけのみこと)さま
海の神、風の神、食物神です。
この神様も神功皇后さまとご縁の深い神様で、気比神宮には、仲哀天皇さま、神功皇后さま、応神天皇さまもお祀りされています。
「古事記」に、面白い説話があります
神功皇后の御子、応神天皇が去来紗別尊(いざさわけのみこと)と呼ばれた皇子から初めて皇太子となったとき、越国に行き敦賀の笥飯大神(けひのおおかみ←気比大神)をお参りしました。その神さまのお名は誉田別尊さまと言います。この神さまに頼まれて応神天皇は、名前を交換したのだそうです。(応神天皇には、誉田天皇(ほむたのすめらみこと)という別のお名前もあります)そしてこの応神天皇こそ、後に、日本一の信仰を集める八幡神社の御祭神となられる「八幡大神」さまです。
皇太子さまの時代に神様とお名を交換するなんてすごいですねっ。
また、この気比神宮ですが、
古代の書「藤氏家伝」には
715年 (奈良時代)
藤原武智麻呂が『気比神宮寺』を建立した。とあります。
神宮寺とは、神社に附属して建てられた仏教寺院や仏堂の事。2000年以上の歴史ある神社さまにも
✳︎神仏習合✳︎の信仰がしっかりと根付いていたんですね。
※『三十番神』とは、神仏習合の信仰で、毎日交替で国家や国民などを守護するとされた30柱の神々のことです。
【▪️珊瑚ノ宮千住堂✳︎華華✳︎の話語り▪️ 神仏習合のお話〜その1の3『三十番神3』
✴︎広田大明神✴︎(広田神社)です
広田大明神とは、天照大神さまの荒御霊
(撞賢木厳之御魂天疎向津媛命(つきさかきいつのみたまあまさかるむかつひめのみこと))です。「荒御霊」について、少し説明致しますね。古代の人々は神霊を4つの魂のはたらきに分けました。
⚫︎荒霊(あらみたま)」→勇猛果敢な魂のはたらき
⚫︎「和魂(にぎみたま)」→ 柔和で平和な魂のはたらき
⚫︎奇魂(くしみたま)」→ 不思議な霊妙な魂のはたらき
幸魂(さちみたま)」→ 人間に幸福をもたらすはたらき。の四魂です。
「日本書紀」に、以下のような説話があります。
仲哀(ちゆうあい)天皇の皇后、神功(じんぐう)皇后さまが、朝鮮の新羅(しらぎ)を征服して帰途についた時、九州で皇子(後の応神(おうじん)天皇)を出産し、大阪難波の港を目指しました。港が目の前という所で、船が海中でグルグル回って進めなくなりました。そこで神意を伺うと“天照大神の荒霊を広田の国に祀れ”との託宣がありました。神功皇后は甲山の頂上に刀剣、宝物を埋めて献上し、その山麓に、国土の鎮め外難の護りとして鎮め祀られました。
珊瑚ノ宮にご縁の深い✳︎神功皇后さま✳︎が
お祀りされたのですね。
※三十番神』とは、神仏習合の信仰で、毎日交替で国家や国民などを守護するとされた30柱の神々のことです。